昨夜、仙道は明日の朝は釣りに出かけると言っていた。
俺は生返事をしただけだった。この寝汚い男がそんな早く起きれるものかと高を括っていたから。

「……? 仙道?」
ベッドの下で寝ているはずの男の寝息が聞こえない。
上半身を乗り出してベッドの下を見てみれば、敷布団のみの簡易寝床は空だった。
本当に朝釣りに行ったのだ。俺を置いて。


仙道の住むアパートから徒歩で15分ほどのところに仙道が気に入っている釣りが出来る場所がある。
何度か一緒に行っていたけれど、こうして薄暗く朝もやの立ち込める中を一人で向かうのは初めてだった。
カラスや他の鳥の鳴き声だけがやたらに響いている。それ以外は自分の足音だけ。
何時頃に家を出たのかな。もっと夜に近い時間だったとしたら、鳥の鳴き声すらもなかっただろう。
自分の足音だけを連れて、あいつは何を思って暗い海を目指して歩いていたのかな。


簡易の折り畳み椅子に座った小さな人影が一つだけ。
あまり視力はいいほうではないのに、座っていてもあいつだとすぐにわかる。
多分あの独特の髪型でなくとも、俺はあいつだけはわかるようになってしまっていた。

手を振られた。
なるべく音をたてないよう仙道の家置き用サンダルのかかとを少し浮かせて歩くから、なかなか辿り着かない。
「いーよ、足音くらい全然」
静かだからそれほど大きくもない仙道の声はよく通った。
「魚が逃げるんじゃないのか?」
普通の音量で喋ったけれど、やはり同じように少しいつもより大きく響いて落ち着かない。
「コンクリでがっちりした足場だから関係ないよ」
「ふーん」
「初めて来た場所でもないのに」
軽く笑った仙道は視線をまた海へ戻した。

隣に立って海を眺めていると徐々に空が明るさを増してきた。もう鳥も鳴いていない。
白っぽい風景に太陽が色を添え始める景色は夕焼けに似てるのに、どこか切ないのが不思議だ。
雲が多いと見上げているうちに夜は去り、朝焼けはみるみるうちに薄まっていった。

こんな切ない景色を好んで、こいつは一人来るのか。
浮きをみつめる整った横顔が黄色味を帯びた朝の光に照らされて作り物めいて見える。
好んで、一人で。
俺すら置いて、一人で。



「お。きたかな?」
椅子から立ち上がった仙道がリールを巻く。その姿に俺は知らず詰めていた息をはいた。
「あー……餌だけとられちまったかぁ」
さして残念そうでもないけれど表情があるからホッとする。
「まだ終わんねぇのかよ〜」
わざと語尾を伸ばしてダルさを装って言ってみる。淋しがっているのを悟られたくないから。
「あとちょっとだけしようと思ってたけど……やめてもいいよ?」



「やめれるんならやめろよなー」
背後から胴に腕を回した。汗ばんだ体を感じてやっと存在を実感して安心する。子供みたいで恥ずかしい。
「はいはい」
「椅子とクーラーボックスは俺が持ってやる」
「そんなに退屈だった?」
「……腹減ったんだよ」

訊かれて初めて、俺は本も持とうと考えることもなく家を飛び出したことを知る。
前の晩につげられていたのに。それでもまさか黙って置いていかれるなんて思いもしなかったのだ。誘ってくるはずだって根拠もなしに確証していたのが外れて、急に怖くなったんだ。
この恋はずっと続けられるものだと、俺は口にしてはいないが確証している。
けれど。こいつはあっさりと俺を置いてどこかへ行ける奴だって、今更思い知らされた感じがして打ちのめされていたなんて言えない。何をもってして昨日までの俺はそんなのんきな確証を抱けていたのだろう。

荷物を持って先を歩いていると、後ろからぽつりとした小さな呟きを拾って俺は振り向き立ち止まった。
「何が“期待外れだ”って?」
「独り言に反応しないでよ」
「もっと戦果がある予定だったってか? 悪かったよ、途中で終らせて」
「そんなこと、全く考えてないす」
仙道は俺の横をすり抜けて先を行く。
機嫌が悪そうなのはわかるが、怒らせるようなことを言った覚えはない。
「気になるだろ。何を期待してたかくらい教えろ」
「やだ」
「冷たいな」
「…………冷たいの、あんたじゃん」
「俺?」

先を行く背中を穴の開くほど見てしまった。
何故俺が。冷たいのは俺を置いていったお前だろうがと、つい口をつきそうになったがぐっと堪えた。
堪えた時間は二分か五分か。仙道は沈黙の長さに根負けしたのか、渋々口を開いた。
「……走って追っかけてきたっていーじゃん」
「は?」
「せめて怒るか文句いうとか。さっきだって」
途中で止めるから、ついオウム返しをしてしまう。
「さっき?」
「珍しく後ろから抱きついてくるからさ、やっぱ淋しかったのかと思ったのに腹減っただけって言うし」

驚いた。
置いてけぼりをくらったショックの倍は軽く。
「試しただけか」
驚き過ぎてつい頭の中の言葉が口から零れていた。
仙道が凄い勢いで振り返った。
「試したなんて!! そんな言い方しなくたっていーじゃん! 俺は……そういうつもりじゃ……」
振り返った動きそのままに勢い込んだ声は急に弱まって、項垂れ切った最後は聞き取れなかった。
手にしている竿の細い部分が揺れている。……分かりやすくていい。
「置いてかれた俺の反応が見たかったんだろ?」
当たらずとも遠からずで返事が出来ないのが、竿の揺れ幅が大きくなったことで伝わって来る。四六時中釣竿持ってろと半分本気で思ってしまう。

「驚いたよ。本や椅子を持ってこうかなんて一切考える余裕もなかった。すぐ玄関に向かった」
「……いいよ」
「ただ、歩きながら追いかけていいのか迷った。一人になりたいのかと考えたから」
「いいって、もう」
「俺を置いていきたいと思ったお前を追っていいのかわからなくて、走れなかった」
弾かれたように仙道が顔をあげた。
驚き過ぎて目玉が零れ落ちそうになっている。こんな分かりやすい顔も出来んじゃねーか。
「悪かったよ、ケンカしてたことなんてすっかり忘れていた」
「寝たら忘れんすか」
「寝る前に忘れてたかもしれん。一旦諦めたから」
仙道の顔が痛そうに歪むから、軽く笑って首を振った。
「上手く説明出来そうにないしお前は何考えてるかわからなくて、俺の中では棚上げ案件にしたんだ。もっと付き合いが長くなれば分かりあえるか、意見の相違として認め合えることだと勝手に決めていた。ごめんな」
今度は仙道が首を振った。
「俺は……もっと勝手だったよ…………ごめん。結果的には試したことになったけど、そんなつもりじゃなかったんだ」
「試されるくらい、いいさ。試すってことは俺に希望を持ってるからだろ」

荷物を置いて仙道へ腕を伸ばした。飛び込むような勢いでしがみついてきた男をしっかりと受け止める。
「……本当は期待外れだったのはあんたにじゃない。あんな些細なことに折れることも、忘れることも出来ないのが悔しくて。いつものようにあんたに折れて甘やかしてほしかっただけのクソガキなんだ」
さっきの何倍も仙道の背中が熱い。恥ずかしがるその熱さえも愛しい。
「たまたま今までは見解が似ていたり、お前の考えに納得してたからだろう。甘やかした覚えはない。俺は納得しなけりゃそう簡単に折れないよ」
俺の頑固さは知ってるだろ? と、耳元にこっそり囁けば微かな笑い声と頷く仕草が早くて、つられてつい笑ってしまった。
「もっと上手くケンカ出来るようになろうな」
「うん」
「意見の違いを認め合うくらい楽勝だ、よな?」
「うん。けどケンカの後くらいは走って迎えに来てほしいな。俺が待つのはあんただけなんだから」
「練習試合にまで遅れてくるお前は待たせるのに慣れ過ぎだ。待つ身の辛さを知れ」
「やっぱ厳しー。けど、そういうあんたに俺は惚れたんだった」
頬に触れてくる唇がくすぐったい。
「走らないが必ず迎えに行く。だからお前はどこでも好きな所でゆっくり頭冷やして待ってろ」


自分より背の高い男を抱きしめた肩越しに、今は空と海しかなくて。
そこにはあれほど不安をかきたてていた朝焼けの名残など何もなかった。







まだ付き合い始めて一年くらいの二人のぷち小説。牧は大学一年。
せっかくの久々お泊りなのにケンカして、初めて体を重ねずに寝た翌朝です。
若いね〜青いね〜、見かけアダルティな二人だけど(笑)

イラストの下書と台詞ちょこっとを日記で数日公開してました。
だからぷち小説を添えた方がお得感出るかなと思って。
でも長くなり過ぎちゃったかな。すいません☆

今回はPhotoshopのCS2で背景写真の加工をしてみました。
人物の塗りや加工も。少しは雰囲気違うかな?
あ、線はSAIです。SAIの鉛筆は柔らかくて大好き〜v









[ BACK ]