珍しく牧さんがおねだり……というほどでもないけど、リクエストをしてきた。
もちろん叶えられるものは即叶えたい俺は牧さんがいつでもいいと言うのもかまわず、待ち合わせの場所からまっすぐ駅へ向かった。
俺は先に職員室で資料室の鍵を借り、来賓用出入り口前で待っている牧さんを懐かしの母校……というほど卒業してから日は経ってはいない校内へ牧さんを招き入れた。
スリッパをペタンパタンと二人分鳴らしながら、春休みで人気のない夕暮れの廊下をのんびり歩く。
牧さんは物珍しいのかキョロキョロと視線を移している。普段は落ち着いている人なだけに見ていて頬が緩む。
滅多に在学中でも入ったことがない部屋なので、牧さんのご希望の品を探すのに少し時間がかかった。
「えーと、これがバスケ部の歴代名簿で……こっちが年鑑?」
「あ、これのこのページが見たい。この人が今の監督の、」
パラパラとめくっていると牧さんが俺の肩に手をかけ顎をのせて話しはじめた。
春休みでおまけに日曜に資料室に用のある奴などそういないだろう。
けれど家でもなく、鍵をかけているわけでもないのに。
あまり自分からスキンシップはしてこない人が外で自分から寄ってくるだなんて初めてかもしれない。 ─── もしかして甘えたい気分だった?
そんなことを口にすればすぐに離れていくだろうから。たわいない会話を続ける。
肩の上がじんわりとあたたかい。愛しさがじんわりと胸にしみるようだ。
一冊まるまる見終わってしまい、牧さんが離れた。肩の辺りが急にひんやりと淋しくなる。
「もっと古いのだと、確か田岡監督の若い頃の写真が載ってるのがあったはずだよ。見る?」
牧さんは軽く頭を振った。
「いや、もう十分。棟が違うとはいえ、長居するのはちょっとな」
言外に陵南バスケ部の奴らと偶然鉢合わせたくないと言われ、俺はもう少し甘えてもらいたかった欲求を封じ込める。
色々忙しくてなかなか会えないけれど、今日こうして会えただけでもラッキーで。
しかも珍しく甘えてもらえてさ。これ以上望むのはバチが当たるよなと思いなおす。
「そっすか。んじゃ、帰りますか」
「うん。帰ろうか、お前ん家に」
俺は本を閉まっていた手を止めて振りむいた。牧さんは背を向けている。
日はもうすぐ落ちる。
卒業して俺は大学のある場所の近くに部屋を借りた。
今から俺の部屋へ電車に乗って行くとして。着いて晩飯食って少ししたら終電にギリギリな時間……。
今夜は泊れないって言ってたよね、なんて余計なことは言わない。
きっと牧さんも同じように俺の体温が愛しく思って離れがたくなってくれたのだろうから。
「冷凍庫に明太子入ってるよ。親の旅行土産の。ちょうどいいレンジ解凍の時間を先日取得したんだけど、食う?」
「もちろん。本当にちょうどいいかジャッジしてやる」
「べしょらず、煮えず、絶妙っすよ」
「へぇ〜。あ、飯は炊きたてがいいから朝飯の時に出してくれよ。夜はどっかで食おうぜ」
「いいね。そうだ、卵買って帰りたいな。あんたの卵焼きが食いてーし」
振りむいて頷きながら笑った牧さんの頬は少し照れくさそうだったけど、夕陽のせいにしておこう。
多分俺が嬉しそうな顔なのは卵焼きが楽しみだから、ということにしてくれているだろうから。
|